連載『先人に学ぶ柔道整復』十六 《番外編》 嘉納治五郎の健康観
2019.07.25
1101号(2019年7月25日号)、先人に学ぶ柔道整復、
ー戦前の体力増進をウエイトトレーニングでー
毎回、一人の先人にスポットを当てて紹介していますが、今回は柔道の創始者・嘉納治五郎の健康観、特に体力増進の手段として取り入れたウエイトトレーニングに触れてみたいと思います。
治五郎は、『精力善用国民体育』(1930年)で、「国民の健康を増進し体力を旺盛にすることは個人の幸福達成のため願わしきはもちろん国家隆昌の基である。その目的のためには衛生思想の普及と体育徹底がなによりも必要である」と述べているように、柔道の普及のみならず、国民への体育普及にも力を入れていました。しかし、当時は体育が一般に実行されることは少なく、講道館柔道にしても、明治30年代から健康増進の方法として徐々に浸透していましたが、柔道の教師が不足していて、この状況を補う必要があると考えました。そこで求めたのが、老若男女の区別なく、また時間と場所の制約もなく、単独でも実践できる、身体を円満均整に発達させることが可能な体育法でした。
ある日、治五郎がイギリス人の某氏に会った時に、ユージェン・サンダウの話を耳にしました。鉄のような筋肉の持ち主としてロンドンで有名だったサンダウは、380貫目(約1,425㎏)の重さの騾馬(ラバ)の4輪車を自分の体の上に走らせるという演技を見せているというのです。元々は普通の体型だったものの、鍛錬の工夫によって自身の筋肉を鍛え上げたと聞き、早速サンダウの著した『体力養成法』を繙閲しました。その体力養成法とは、筋力トレーニング(ウエイトトレーニング)だったのです。彼のトレーニングは目に見える筋肉の発育のほか、内臓(肝臓、腎臓、心臓、神経)にも強さを増し、「根気も結緊される」と記されていました。また、長幼の差を斟酌して練習をすべきであるとし、トレーニングに年齢表を作成し、各年齢の男女が行うべき適当な度合いを定め、解剖図も示されていました。解剖図には、7~10歳の男女への適応から始まり、段階を経て17歳以上の男子までの練習メニューの目安が書かれています。さらに練習の注意事項として、急速な運動は長幼ともに慎み、軽妙に行うことが記されていて、健康上の効果に重点が置かれていると分かります。道具は主に亜鈴(ダンベル)を使用しましたが、サンダウが医学・生理学を勉強する過程で知り合ったと思われるホワイトレー教授とケーブル器械も開発しています。
このサンダウの筋トレに対する方針と方法は、治五郎の理想とする体育法との共通点が多くありました。練習は教師も相手も必要とせず、誰でも容易に行うことができ、加えて、その理論は医学的に緻密でした。治五郎は、自らが運営していた造士会から『サンダウ体力養成法』(1900年)を出版し、ウエイトトレーニングとして、日本で初めて紹介したのです。その後、1938年に日本のボディビルの先駆である若木竹丸により『怪力法並に肉体改造体力増進法』という専門書が発刊されるなど、ウエイトトレーニングは多くのスポーツや健康増進の手段として用いられ、今日に至っているのです。
【連載執筆者】
湯浅有希子(ゆあさ・ゆきこ)
帝京平成大学ヒューマンケア学部柔道整復学科助教
柔整師
帝京医学技術専門学校(現帝京短期大学)を卒業し、大同病院で勤務。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程を修了(博士、スポーツ科学)。柔道整復史や武道論などを研究対象としている。