『ちょっと、おじゃまします』 ~目指すは「まちの保健室」~奈良県橿原市<まるさんかくしかく>
2022.09.26
「安全・衛生・誠実をモットーに患者さんファーストで施術に取り組んでいます」と語るのは、奈良県橿原市の鍼灸院、まるさんかくしかくで院長を務める藤田幸久先生と妻の千恵美先生。特徴的な施術所の名前は誰にでも読めて、親しみやすいものにしたいという思いから付けられたのだそうです。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~目指すは「まちの保健室」~奈良県橿原市<まるさんかくしかく>
『ちょっと、おじゃまします』 ~目指すは「まちの保健室」~奈良県橿原市<まるさんかくしかく>
2022.09.26
「安全・衛生・誠実をモットーに患者さんファーストで施術に取り組んでいます」と語るのは、奈良県橿原市の鍼灸院、まるさんかくしかくで院長を務める藤田幸久先生と妻の千恵美先生。特徴的な施術所の名前は誰にでも読めて、親しみやすいものにしたいという思いから付けられたのだそうです。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~なんでも相談できる治療院に~ 奈良県橿原市<マホロバ鍼灸院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~なんでも相談できる治療院に~ 奈良県橿原市<マホロバ鍼灸院>
2022.08.25
「開院初日は大雨で、一人しか来院がなかったんですよ」――当時を振り返り、笑いながらそう語るのはマホロバ鍼灸院・院長の中川憲太先生。
小学生のころ、鍼灸治療と鍼灸大学の存在をテレビで知り、当時から手に職を付けたいと考えていたこともあり、すんなりと将来の方向性を決めたといいます。ほどなく志望通りに明治鍼灸大学へと進学、大学生時代はスポーツ整形への興味が強く、整形外科でのアルバイトを通して柔整師免許の必要性を感じ、取得を決めたのだとか。その後、柔整師免許も取得すると、勉強会でお世話になっていた先生から声をかけられ、新しく開院する治療院で院長として働くことに。周りの方々の手厚いサポートもあり、特にプレッシャーを感じることもなく勤めていたと語ってくれました。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~イラストの先生がお出迎え~ 大阪府堺市<ハル鍼灸整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~イラストの先生がお出迎え~ 大阪府堺市<ハル鍼灸整骨院>
2022.08.10
ハル鍼灸整骨院の入口前で、最初に目に留まるのが可愛いイラストが描かれたウェルカムボード。「来院された方に、表のイラストに似ていると言われることもしばしば」と笑顔で話すのは、和田慶一先生。ウェルカムボードは、季節に合わせて奥さんが描いてくれているのだそうです。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~鍼灸を体験する後押しを~ 奈良県斑鳩町<CAFE鍼灸ZADAN>
『ちょっと、おじゃまします』 ~鍼灸を体験する後押しを~ 奈良県斑鳩町<CAFE鍼灸ZADAN>
2022.07.25
「人が鍼灸に触れる入り口をつくりたい」と話すのは、奈良・斑鳩の地で『CAFE鍼灸ZADAN』を営む鍼灸師の川口真先生。
店は築95年の古民家をリノベーションした、温かみのある空間。鍼灸部門では、完全予約制でストレッチや鍼灸の施術を受けられます。全身の不調に働きかけるメニューをはじめ、顔面麻痺の患者さんを多く診た経験を生かす美顔鍼もあり、地元を中心に幅広い世代の人が訪れています。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~じんわりとした「感動」を一つでも~ 大阪府堺市<はんだ鍼灸整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~じんわりとした「感動」を一つでも~ 大阪府堺市<はんだ鍼灸整骨院>
2022.07.10
「治療した後に、思わず人に話したくなるような親しみやすい院にしていきたい」。そう語るのは、はんだ鍼灸整骨院の半田貴久先生です。
小・中学生時代は野球少年で、怪我はあまりしなかったという半田先生。高校時代、恩師に誘われて、少年野球の指導者として出向いた際、チームを見渡すと子どもたちに膝や踵の怪我が多いことに気付き、指導者から見た感覚の違いに驚いたとか。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~会議中でも施術します~ 大阪府堺市<まこと鍼灸院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~会議中でも施術します~ 大阪府堺市<まこと鍼灸院>
2022.06.10
「いつも頑張っている方をサポートしたい」。思いやりと情熱を込めて語るのは、鍼灸師の清水萌恵先生です。まだ幼い息子の達真くんと一緒に鍼灸の出張専門で活動中。開業して、ちょうど1年が経ちました。
中学・高校時代、バスケットボールに打ち込んできた清水先生。元々は、部活動顧問の教員や、競技の選手生命を支えるスポーツトレーナーを目指していたそうです。高校の部活動でアキレス腱を痛めた際に、鍼灸整骨院でお世話になった経験から鍼灸にも意識を向けるようになり、教員と鍼灸師両方の資格が取れる大学に進学。卒業後は鍼灸整骨院に就職し、結婚を機に訪問型の治療院に転職してからも修行の日々で、当初は独立の願望はなかったといいます。一昨年に息子が生まれ、同じ年に病気で母が他界。生と死に直面し、これからどうしたらいいのか、自分の生き方について向き合ったことが開業のきっかけになりました。
出張専門で、例えばどのような施術を行っているかというと、企業で経営会議中の従業員に施術しているとのこと。コロナのこともあり、オンライン会議中のことかと思いきや、オフィスの会議室にて希望者の方に順番で回って施術をしているそうです。清水先生は、「こんな真面目な会議中にできるのか、と社員の皆さんは正直戸惑っていたと思います。約2時間の会議中、人数が多いときは会議出席者30人中20人以上に、同時に施術したこともあります」と話しました。今の時代、身体の不調を抱えながら仕事を頑張り、無理がたたってしばらく休まないといけない……という方々が多いので、鍼灸施術により身体を整えることで少しでも疲れを軽減し、パフォーマンスの向上を促したいとのことです。
原点でもある教員になるという目標についても、年内に非常勤講師として保健体育の授業の担当を予定。「鍼灸師ならではの視点で、健康について話したい」とか。「人々が将来世代や世の中についても自分らしく思いやれるように、心と身体を元気にして応援していきたい」と目を輝かせました。
清水萌恵先生
平成29年森ノ宮医療大学医療技術学部鍼灸学科卒、同年はり師・きゅう師免許取得。同年、中学校・高等学校教諭一種免許状(保健体育)取得。27歳
『ちょっと、おじゃまします』~トヨタコレクション「いのちと向き合った医師たちの挑戦」展 名古屋市西区〈トヨタ産業技術記念館〉
『ちょっと、おじゃまします』~トヨタコレクション「いのちと向き合った医師たちの挑戦」展 名古屋市西区〈トヨタ産業技術記念館〉
2021.10.25
江戸期の東洋医学を知る
12月19日までトヨタ産業技術記念館で開催されている『いのちと向き合った医師たちの挑戦』展。貴重な科学技術資料を展示するトヨタコレクションが今回取り上げたのは、江戸時代の医療。西洋医学をどん欲に吸収し、応用していく過程で劇的に進歩した医療機器や資料が多数展示されています。同館ホームページ内の「バーチャル展示室360」を利用することで、展示品はもちろんパネルや解説動画の閲覧など、まるで会場に足を運んだかのような体験も可能です。
順路の前半は薬研や漢方ふるい箱など薬草の研究に使われた道具が展示されています。「未病」への関心が現代と変わらないほど高かったことも、貝原益軒の『養生訓』の展示を見れば一目瞭然です。順路後半では木骨や五臓六腑の解剖図などが並び、 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~今後のために良い状態を~ 大阪府堺市<あおい整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~今後のために良い状態を~ 大阪府堺市<あおい整骨院>
2020.04.10
「目の前の治療だけではなく、今後のために身体の良い状態を作っていくことが大切です」。そう語るのは、柔道整復師の西村光紘先生です。進路を決めたのは高校3年生の頃。もともと、スポーツトレーナーの道を考えていたそうですが、サッカー部の練習中に内側側副靭帯を痛め、治療後のリハビリで整骨院のお世話になった経験から、ケガを含めた幅広い状況に対応できる柔整師の道を志しました。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~トレーナー経験も強み~ 大阪府和泉市〈いと整骨院〉
『ちょっと、おじゃまします』 ~トレーナー経験も強み~ 大阪府和泉市〈いと整骨院〉
2020.03.25
オスグッドや踵骨骨端炎、腰痛や転倒によるケガなど、いと整骨院には子どもからお年寄りまで幅広い患者さんが訪れるといいます。ただ、院長の伊藤和也先生のもう一つの顔は「スポーツトレーナー」。院内にトレーニングスペースを設け、スポーツに打ち込む少年少女たちへ筋トレやストレッチなどの指導も行っています。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~『全員がメンテナンス』目指し~ 大阪府高槻市<よしだ整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~『全員がメンテナンス』目指し~ 大阪府高槻市<よしだ整骨院>
2020.03.10
「『全員がメンテナンスで通院している整骨院』。それが私の理想です」――そう語るのは、よしだ整骨院の院長、吉田達也先生です。吉田先生が柔整師を志したのは学生時代、中学の野球部、高校のバドミントン部と続けて怪我に見舞われ、手技に支えられた経験からでした。ただ、「PTと柔整師、どちらを志すかは最後まで迷いました」とのことで、実際に話を聞きに行ったりもした末、仕事の自由性を重視して柔整師を目指したといいます。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~柔整・鍼灸の二本柱で幅広く~ 大阪府豊中市〈小林整骨院〉
『ちょっと、おじゃまします』 ~柔整・鍼灸の二本柱で幅広く~ 大阪府豊中市〈小林整骨院〉
2020.02.25
ケガが治って痛みが取れると体の健康が気になり始め、心の健康やさらには「美」にも興味が湧いてくる――。柔整師で鍼灸師の小林先生は、昨今の患者さんの傾向をそう見ています。柔整師として十数年のキャリアがあり、はり師・きゅう師免許も昨年取得しました。柔整・鍼灸の二本柱で、ケガから「美容鍼」まで施術の幅が広がったといいます。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~「一番健康になれる場所」へ~ 大阪市生野区・樋口亮太先生
『ちょっと、おじゃまします』 ~「一番健康になれる場所」へ~ 大阪市生野区・樋口亮太先生
2020.02.10
樋口亮太先生が柔整師を目指したのは、高校2年生の頃。部活のバスケットボールに打ち込む中で腰痛に苦しみ、複数の整骨院を回る中で、一番親身になり、何よりも他の院と違ってきちんと症状の説明をしてくれた先生の姿に、「こんな先生になりたい」と感じたといいます。専門学校のオープンキャンパスに申し込んだ時は、記念品でもらった下敷きにズラリと書かれた骨や筋肉の名前に「全部覚えないといけないのか」と不安になったものの、進路を決断。入学後は、整骨院でアルバイトを始めました。もちろん治療には携わっていませんが、自信がなかった患者さんとのコミュニケーションを現場で見て、経験を積めたのは大きな財産になったとか。しかも、柔整の勉強は案外楽しく、「骨と筋肉も、すぐに勝手に覚えました」と笑って当時を振り返ります。
免許取得後、一時は交通事故を熱心に扱う院に就職するも、保険の取り扱い方に疑問を感じて数カ月で退職。再就職先で出会ったオステオパシーに、「身体全体をホリスティックに診られる治療」として可能性と魅力を感じ、数年の経験を積んで独立しました。現在は自費専門で施術を行っており、最も得意とするのは子供の姿勢改善。ビフォー・アフターで姿勢の写真を撮って比較するのが常で、数日の施術で驚くほどの差が出ると言います。持論は「高齢化が進む中、子どもがしっかりしていないと高齢者を支えることはできない」。また、付き添いの母親の痛みや不定愁訴の相談に乗ることも多いとか。実は先生自身、母子家庭で苦労する母の背中を見て育ったそうで、シングルマザーで頑張るお母さんたちの力になりたい思いが強いと語ってくれました。
将来の夢は、治療だけでなく、予防・健康促進・フィットネス・食事指導など全てをこなせる複合ビルを建てること。「一番健康になれる場所」を作りたい、と話します。
樋口亮太先生
平成23年4月、関西健康科学専門学校卒業。同年、柔整師免許取得。28歳
『ちょっと、おじゃまします』 ~「デイ骨(こつ)院」を提唱~ 大阪市生野区〈北川整骨院鍼灸院〉
『ちょっと、おじゃまします』 ~「デイ骨(こつ)院」を提唱~ 大阪市生野区〈北川整骨院鍼灸院〉
2020.01.24
できるだけ長く元気でいて、自宅で自立した生活を送りたい――そんな高齢者の願いをかなえて地域に貢献したい。北川肇先生は柔整と鍼灸だけでなく、主任ケアマネジャーと介護福祉士、社会福祉士の資格も取得。鍼灸整骨院と、入浴と食事は無く機能訓練に特化したデイサービスを運営し、ケアプランセンターも開設しています。 (さらに…)
『ちょっと、おじゃまします』 ~「治療以外」も大切に~ 兵庫県西宮市<おひさま整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~「治療以外」も大切に~ 兵庫県西宮市<おひさま整骨院>
2020.01.10
田村嘉逸先生が柔整師の道を志したのは大学3回生、就活の時期。やりたいことに悩む中、祖母の膝痛が整骨院への通院で改善したことがきっかけでした。中退も考えたものの家族の反対を受け、まずは卒業した後で専門学校に入学、免許を取得しました。その後は、病院勤務のほか、完全出来高制の雇われ院長、立ち上げにつまずいた院を立て直す助っ人スタッフや、複数の院を統括するスーパーバイザーなど様々な勤務形態を経験。そんな中で学んだのは、「治療以外のこともとても大事」ということ。路上から院内の様子がうかがえるように、かといって奥の奥まで見えるのではいけない、見える範囲に複数のスタッフがいては暇そうに見える、施術者に自信が満ちていなければ再来院率は如実に下がる――失敗例を含めた多くの現場で、ノウハウを積み重ねてきました。
1年前、居抜きの院で開業するに当たっても、多様な視点から整骨院の経営を見てきた経験を生かし、まずこだわったのは内外装。入口の壁を取り払ってガラス張りにし、視線を遮るマット加工の高さもセンチ単位で細かく指示。キッズスペースを増設したほか、天井の照明を大幅に増やし、院内を明るい印象にしました。治療技術については「できて当然の施術を当たり前にやるだけ」と考える一方、「患者さんを家族のように考えて親身に接する」ことを信条にしているという田村先生。SNSやHPは用いていないものの、口コミだけで、1年で来院数を2倍ぐらいに増やし、毎日25人ほどの患者さんを診ています。
現在、スタッフは一人で、2日以上の連休は正月だけ、昨年末は50連勤超えだったというハードスケジュール。「特別な技術がない自分に出来るのはひたむきに働くことだけです」と話す一方、将来的には院を任せられる人材も雇い入れ、友人の施術者と共に沖縄で治療院を開きたいという夢も語ってくれました。
田村嘉逸先生
平成21年3月、明治東洋医学院専門学校卒業。同年、柔道整復師免許取得。平成30年開業。35歳
『ちょっと、おじゃまします』 ~包帯にこだわりあり~ 大阪市西成区<くりもと鍼灸整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~包帯にこだわりあり~ 大阪市西成区<くりもと鍼灸整骨院>
2019.12.25
万人向けに作られているサポーターよりも、個々の患者さんの状態に合わせてフィットさせられるからと、包帯を多用している柔整師の栗本秋先生。自身も敏感肌なので患者さんには肌が弱くないか必ず尋ね、かゆくなったりしないよう巻き方も工夫。熱感、腫脹がある時はテーピングだとかぶれやすいので、やはり包帯を使うといいます。
昨年他界した父親も開業柔整師で、院に併設した柔道場の主でもありました。当然のように、栗本先生も柔道一直線。大学まで続けました。道場では門下生のケガを父親が治療していましたが、我が子の軽い捻挫程度なら少し手当てをして「あとは自分でやっとき」と放任。父親の見よう見まねで包帯を巻いているうちに「楽しくなってきた」といいます。学校の柔道の部活でも、先輩や後輩の包帯の巻き直しをしていて好評だったとか。大学卒業後、柔整師を目指すのですが、意外なことに父親は大反対。「女性が開業するとなかなか結婚できません。父は古いタイプの人だったので……」と振り返ります。賛成してくれていた母親と、父親の友人たちの後押しもあって専門学校に入学。既に別の場所で開業していた兄の院をはじめ、複数の院で修業しました。
独立後、一時は東京で開業するも諸事情により帰阪。紆余曲折ありましたが、現在は専門学校の同級生で鍼灸師・柔整師の溝口有亮先生と共同で院を営んでいます。東京時代は社団のボランティアでマラソンの救護に当たったり、大阪に戻ってきてからは知人が帯同する柔道大会の救護に参加したりと、スポーツに関わる外傷を診るのが好きだという栗本先生。ただ、開業して間がない今は患者さんの多くは近所の高齢者とのことで、集患のプランを模索中です。
現在の整骨院は父親の院の跡地にあり、柔道場は兄が引き継いでいて健在。栗本先生も通ってくる子どもたちに柔道を教えています。
栗本 秋先生
平成14年明治東洋医学院専門学校柔整学科卒、同年柔整師免許取得。43歳
『ちょっと、おじゃまします』 ~不眠専門で一国一城の主に~ 大阪府高槻市<高槻宗八鍼灸整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~不眠専門で一国一城の主に~ 大阪府高槻市<高槻宗八鍼灸整骨院>
2019.12.10
「健康の基本は睡眠、栄養、運動。どれが欠けても健康になれるわけがありません」。そう語る、高槻宗八鍼灸整骨院の佐藤太先生。院名の「宗八」の由来はご先祖様の名前。先祖代々、自営業の家系で、幼い頃から「何か自分で事業を興して社長になれ」と祖父に言い聞かされて育ったのだとか。
「事業」を治療家の道に決めたのは高校生の頃。サッカー部の試合中に足を踏まれ骨折、通った整骨院での親身な対応がきっかけでした。柔整師免許取得後、骨折・脱臼の患者が多いという整骨院で、独立を視野に「丁稚奉公」。鍼灸師の免許を取得すると決めたのはこの時期で、10年間片耳が聴こえないという症状を院長が鍼施術で治療し、患者さんが流した感動の涙を見てから。同時期に自身も突発性難聴を治してもらい、患者さんに求められる技術だと確信したといいます。鍼灸の勉強は肌に合い、専門学校を主席で卒業。免許を取得し、いよいよ開業……かと思いきや、なんと渡米。「日本の治療しか知らない、一度海外を見よう」と、語学留学の形を取って2年間、トレーナーとしての活動を続けました。帰国後、グループ院で雇われ院長として経営のノウハウを学びながら開業資金をため、ついに独立します。
目標だった開業を果たした後、治療家として何をしたいかを考え、辿り着いたのが「不眠専門」。当時の患者さんにアンケートしたところ実に7割が睡眠に問題を抱えていた衝撃が決め手になりました。手技と鍼灸で体質を改善し、副交感神経を優位にする治療が中心。睡眠薬に頼るべきではないと減薬を呼びかけており、実際、投薬期間の長い人ほど睡眠状態の改善に時間がかかるとのこと。今後は企業やスポーツチームと提携して、睡眠を見直す機会を作っていきたいという佐藤先生。「栄養、運動の専門家に対し、睡眠の専門家の数は乏しい。とはいえ、雑誌などで睡眠が注目されることも増えてきました」と話し、この機に環境作りを進めたいと意気込みます。
佐藤 太先生
平成19年、明治鍼灸大学柔道整復学科卒業。同年、柔整師免許取得。平成24年、明治鍼灸専門学校卒業。同年、鍼灸師免許取得。35歳
『ちょっと、おじゃまします』 ~今は往療、いずれ施術所も~ 大阪府堺市<やべ鍼灸整骨マッサージ院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~今は往療、いずれ施術所も~ 大阪府堺市<やべ鍼灸整骨マッサージ院>
2019.11.25
今年の6月に往療専門で開業したばかりだという萩原和真先生。柔整師、あはき師の有資格者です。国家資格取得前のアルバイトも含めて9年間の下積み生活を送り、「自分がどれだけできるか試したい」との思いから独立を果たしました。
小学校から大学まで野球に打ち込み、プロの選手を目指してきましたが、ケガでボールを投げられなくなって断念。トレーナー業を視野に入れ、整骨院で働き始めました。そこで見たのは患者さんの笑顔。困っている人の手助けになる仕事だと感動し、この道を志しました。3軒の整骨院で修業、それぞれに特色のある治療が学べたとのこと。中でも、最後に勤めた院の院長の鍼はスピーディーでなおかつ結果を出していたといい、今はその先生を目標にしています。まだ患者さんは多くはなく、介護施設などケアマネジャーのいる事業所へあいさつ回りをして紹介してもらったり、友人の祖父母に声をかけてもらったりしています。その内の一人は高齢の女性で、歩行困難なうえ、いつも顔色が悪いそうです。そんな患者さんが、施術をすると顔色も良くなり、口数が少なかったのが積極的に話しかけてきてくれるようになるのが何よりうれしいとか。介護をしているご家族にも喜ばれ、やりがいを感じています。ヘルパーやケアマネジャーとの信頼関係構築が重要だと、コミュニケーションは欠かしません。医師に提出する施術報告書には施術内容だけでなく、その日の患者さんの様子も書き記しています。
ゆくゆくは施術所を構えたいという萩原先生。経営についても学ぼうと考えていますが、まずは治療の腕を磨いてからと、様々なセミナーに参加しています。直近ではYNSAの入門セミナーに行ったそうで、「学生時代、教員の先生に勧められた本で知ってはいたのですが、実際に見てみたくて。すばらしい技術です。ぜひ極めたいですね」と目を輝かせていました。
萩原和真先生
平成27年関西医療学園専門学校柔道整復学科卒、同年柔整師免許取得、平成30年同東洋医療学科卒、同年はり師・きゅう師免許及びあん摩マッサージ指圧師免許取得。30歳
▲仕事道具を入れるバックパック。開業祝いに勤めていた院から贈られたとのこと
『ちょっと、おじゃまします』 ~正しい検査を基に治療方針を~ 神戸市兵庫区<たかはし整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~正しい検査を基に治療方針を~ 神戸市兵庫区<たかはし整骨院>
2019.11.10
院のコンセプトは根本治療。「一部分にとらわれず、全体を診るよう心掛けています」。そう語るのは、柔道整復師の髙橋直幸先生です。
この道を志したのは、21歳の頃。当時スポーツトレーナーとして活動し、高校のサッカー部や大学のアメフト部で選手のケアに当たっていた髙橋先生。同じ現場にいた柔整師の先生の外傷への対処の素晴らしさを目の当たりにしたことをきっかけに、より知識の幅を広げるべく決断したといいます。免許取得後は数年間、分院長として整骨院に所属し、施術者として、経営者としての経験を積み、独立しました。
現在、患者さんの約9割は自費で、治療の中心はバイタルリアクトセラピー。身体を正常な状態に戻すことをコンセプトにした手技で、痛みをはじめとする慢性的な症状に特に効果を発揮すると考えているそうです。スポーツ選手の来院も多く、トレーナー経験を生かして身体の使い方を指導します。最近では、プロレスラーが試合中のダメージで頚のヘルニアを患って来院し、完治後も引き続き身体のケアで定期的に通院しているとか。また、初めて来院した患者さんには、本人の同意が得られれば、提携する病院でレントゲンを撮影してもらい、その結果を見せてもらいながら治療方針の参考にしているといいます。院内には画像を確認するためのシャウカステンも設置しており、患者さんに説明するために使っているとか。「柔整師自身にできる検査には限界がありますが、より正しい検査結果を得ることが、治療方針を立てるには不可欠だと考えています」と語ってくれました。
今後は、プロチームとの提携などを通じてトップアスリートのサポートにも活躍の場を広げ、今行っている治療を広げていきたいという髙橋先生。トレーナー時代のつながりを生かした「売り込み」を、積極的に行っていきたいと展望します。
髙橋直幸先生
平成22年、関西健康科学専門学校卒業。同年、柔道整復師免許取得。平成24年開業。36歳
『ちょっと、おじゃまします』 ~外傷からエステまで幅広く~ 大阪府堺市<ことは鍼灸整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~外傷からエステまで幅広く~ 大阪府堺市<ことは鍼灸整骨院>
2019.10.25
外傷の治療から慢性疼痛の緩和、マッサージの往療、更には美容鍼、エステティックと多角的に展開していることは鍼灸整骨院。柔整師、あはき・柔整師、エステ専門の女性スタッフに加え、「女性に診てもらいたい」とのリクエストがあれば応援に駆けつけて来てくれる2名の女性有資格者と、多彩なメンバーで運営しています。彼らを束ねるのは院長で柔整師の阿部建太先生。ぎっくり腰の治療が得意で、松葉杖で来院した患者さんがスタスタと歩いて帰った、東京在住の友人に「交通費を出すから」と治療のために招かれた、といった経験もあるとか。
高校、大学から柔道に打ち込んできた阿部先生。柔整師にはお世話になっていたといい、その道に進もうとしたのですがご両親の反対で断念。その後10年間、刑務官として働きます。社会人になってからも続けていた柔道の引退を節目に、また「10年も勤め上げたのだからもういいだろう」との思いもあり、ご両親の許しを得て、諦め切れなかった夢へと再び向き合うことに。専門学校時代も含め、複数の整骨院での勤務経験を経て独立開業しました。修業時代、1日80~100人の患者さんが来る院ではひたすら手技の腕を磨いたといい、専門学校の付属整骨院では非常勤の教員らが入れ替わり立ち代わり指導してくれたのでバラエティー豊かに学べたとのこと。現在の治療方針は、個々の患者さんに合ったオーダーメード治療。幅広い資格・スキルを持つスタッフらとのチームワークを生かしています。
院自体はオールラウンドですが、柔整師として外傷を数多く扱う阿部先生。懇意にしている整形外科があり、骨折の応急処置をした患者さんを送って後療を引き受けることも少なくないといいます。自己研鑽のために、整形外科医や理学療法士の下に自ら足を運び、教えを乞うこともあるそうです。ボランティアで柔道の大会の救護にも携わっていて、「ついこの間も膝の脱臼を整復したばかりです」と語ってくれました。
阿部建太先生
平成28年関西医療学園専門学校柔道整復学科卒、同年柔整師免許取得。41歳
『ちょっと、おじゃまします』 ~20年以上を一つの院で~ 大阪市東淀川区<ニシノ整骨院>
『ちょっと、おじゃまします』 ~20年以上を一つの院で~ 大阪市東淀川区<ニシノ整骨院>
2019.10.10
親族に柔整師がいたものの、自らの進路としては考えていなかった井戸内先生。転機は大学時代、柔道部の試合中に頚を捻挫、一人で歩けないほどの痛みで、部員に肩を貸されて近隣の整骨院に運び込まれたことでした。的確な処置のおかげで自力で帰ることができたことに感動し一念発起。大学卒業後、その整骨院でアルバイトをしながら専門学校に通い、鍼灸・柔整の免許を取得しました。そして、実はこの整骨院こそ、今も働き続けるニシノ整骨院。アルバイト期間を含めて勤続年数は実に24年、人生の半分以上をこの院で過ごし、2年前に新たな院長として院を受け継ぎました。「患者さんを治すだけではなく、その後の生活の向上を図るという前院長の理念に共感したからこそ、ここまで来られました」と話します。
ニシノ整骨院には現在8人の施術者が勤務し、患者さんは1日100人弱。傾向としては外傷がやや多く、骨折の固定に包帯を多用することが最大の特徴です。特に腰の固定にサラシ包帯を使うのは珍しいとかで、コルセットより負担が少なく、早い治癒が期待できるそうです。伝統技術だけにこだわるわけではなく、院内にはパルス療法や酸素カプセルといった機器も。もちろん、理念の通り、治癒後の運動指導にも力を入れており、院内の運動スペースのほか、別フロアに併設したグループのデイサービスとも連携して患者さんのサポートに当たります。
柔整師は骨折を含めた外傷を診られて一人前と考えるニシノ整骨院では、新人施術者は3年間の修業期間を経て、ようやく患者さんを任されるとか。もちろん井戸内先生も、この修業期間を経験。教育プログラムのアップデートも重ねつつ、「今後も業界のため、技術と経験を兼ね備えた新人育成に努めていきたいです」と語ってくれました。
井戸内 学先生
平成10年、明治東洋医学院専門学校鍼灸学科卒業。同年はり師、きゅう師免許取得。平成13年、同校柔整師科卒。同年柔道整復師免許取得。46歳