連載『先人に学ぶ柔道整復』十二 名倉直賢(後編)
2018.11.25
―直賢の精神、子孫通じて今の柔整師へ―
今回は直賢の子孫で、明治期に活躍した陸軍医監である名倉知文と大正期の柔整師の関係について触れてみます。
知文は、幕末に江戸医学所で松本良順(初代陸軍軍医総監)から医学を学び、1874(明治7)年3月に『整骨説略』を出版しています。同書は、知文がまだ軍籍に入る前にドイツのケルストの軍陣外科書の骨傷編を訳したもので、同僚の石黒忠悳や三浦煥らがこの翻訳を強く勧めたといいます。内容は、「諸骨交節毀傷及移位論」「脱臼総論」「下牙床骨脱」「脊柱骨脱」「脋骨脱」「尻盤骨脱」「鎖子骨脱」「上臂骨脱」「轉肘骨脱」「手腕骨脱」「前後掌骨及指骨脱」「大腿骨脱」「膝蓋脱」「膝膕脱」「輔腿骨脱」「足跗骨脱」「足拗骨脱」について書かれています。それぞれ、脱臼の発生機序、症状、転位方向のパターン、整復法、固定法、合併症が記載されていて、現代の柔整師による脱臼の整復法に通じるものがあります。例えば、「上臂骨脱」(肩関節脱臼)では、肩関節の特徴として「上臂骨ハ運用最モ多ク窩臼狭隘ニシテ浅ク且ツ其臼ニ比スレハ骨體長大ナリ是ヲ以テ脱離ノ多キ餘處ニ過ク」とあり、「肩関節は運動が多く、関節窩が上腕骨頭に対して浅く狭いため、脱臼をしやすい」ことを既にこの時代で説明しています。また、全体の整復法にはドイツの医師による方法が紹介されていて、中でもストロメール(G. F. Stromeyer、1804~1876)の整復法が多くみられます。
同書が口火となり、知文の同門である足立寛(7代陸軍軍医総監)がドイツのホエリッヒの外傷による骨折と脱臼の成書を翻訳した『整骨図説』を1900(明治33)年に出版します。ドイツから輸入したエックス線像及び原色付図を初めて日本で紹介しました。また、『整骨図説』の肩関節脱臼の整復法はコッヘル(Emil Theodor Kocher、1841~1917)による方法が紹介されています。
知文による『整骨説略』は、『整骨図説』、『臨床小外科』(松本喜代美著、1915年)、『新撰外科総論』(茂木蔵之介著、1920年)とともに、1921(大正10)年に柔道整復師試験対策のために出版された『柔道整復術』(安井寅吉著)に大きな影響を与えました。直賢の接骨に対する勉学の精神は、子孫である知文に受け継がれ、さらには今日の柔整師の教科書の礎となっています。
参考文献:名倉弓雄『江戸の骨つぎ』(1974年、毎日新聞社)他
【連載執筆者】
湯浅有希子(ゆあさ・ゆきこ)
帝京平成大学ヒューマンケア学部柔道整復学科助教
柔整師
帝京医学技術専門学校(現帝京短期大学)を卒業し、大同病院で勤務。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程を修了(博士、スポーツ科学)。柔道整復史や武道論などを研究対象としている。



