連載『医療再考』6 AIで鍼灸はどのように変わるか? ~診断と治療の境界線を考える~
2019.08.10
高齢化に伴う働き方の変化、特に生産年齢人口の減少をどのように補うのかは重要な課題です。そこで、解決策の一つとしてICTを活用した新しい医療が考えられているという話をしてきました。
ここでいう情報とは、単なる医療情報だけでなく、パーソナルヘルスレコード(PHR)など個人に紐づくあらゆる情報を含みます。特にPHRは血液検査のような一時点の情報ではなく生活に密着した連続的な情報であるため、今までと違った視点から評価できる可能性があります。これらのデータをたくさん集めてビッグデータ化できれば、それをAIが解析することにより、高確率で病気を予想・診断することが可能となります。また、近年精力的に作成されている診療ガイドラインは診断アルゴリズムであり、必要な情報さえ揃っていればAIが簡単かつ正確に診断することが可能です。ICTにより様々な情報が集まり、解析可能となれば、診察は問診や検査の場ではなく事実確認の場となり、診断するという行為そのものが変化することになります。治療院で行う診察の流れにも大きな変化が生じるでしょう。
従来の医療では、診断技術と治療技術の両方を兼ね備えた者が優れた治療者と考えられていました。しかし、未来の医療では診断よりも治療に主眼が置かれ、AIには代わることのできない技術の習得が優れた治療者の必要条件となります。治療技術は診断と連動しているため、AIが導く病態に応じた治療が求められます。診断するAIの思考、言い方を変えれば集められてきた情報をAIにどのように解析させるのかが、治療法を決めるのです。さらに、どこに行ってもある程度同じ診断を受けることができるため、顧客体験(CX)が何よりも重要になります。そのため、治療院の経営戦略も技術とCXの向上に全力を注ぐことになります。このように鍼灸治療の考え方は、病態把握から治療技術へ、治療技術から顧客体験へと変化していくものと思われます。
そこで、我々はAI時代に備え、東洋医学的な視点を取り入れた身体アプリを開発しています。力を入れているのは、入力した内容から患者に適した治療法がアシストされるアルゴリズムを作成し、さらにその診断からバーチャルでは体験できないリアルなCXを確立するコースに導くことです。具体的な取り組みの一つは、痛みレベル(末梢・脊髄・脳)に応じて治療法やセルフケアを使い分ける考え方です。特に慢性痛では明確な原因は分からないため、従来の診断アルゴリズムが使えない側面があります。そこで、アプリやウェアラブルデバイスから集められた生活ログを基に痛みの中心(レベル)を把握するアルゴリズムを新たに作成し、その結果に合わせて治療や生活指導を行う仕組みを提唱しているのです。これはAI時代を踏まえた新たな鍼灸治療の診察体系を作る取り組みであり、未来を見据えた挑戦です。
【連載執筆者】
伊藤和憲(いとう・かずのり)
明治国際医療大学鍼灸学部長
鍼灸師
2002年に明治鍼灸大学大学院博士課程を修了後、同大学鍼灸学部で准教授などのほか、大阪大学医学部生体機能補完医学講座特任助手、University of Toronto,Research Fellowを経て現職。専門領域は筋骨格系の痛みに対する鍼灸治療で、「痛みの専門家」として知られ、多くの論文を発表する一方、近年は予防中心の新たな医療体系の構築を目指し活動を続けている。