五行説に基づく古代中国星座をプラネタリウムで鑑賞、『古代中国星座の世界へようこそ!(東洋医学も少々…)』
2026.02.03
投稿日:2026.02.06
1月11日、北里大学(東京都港区)において、『資料読解から拓かれる医学古典と歴史研究―テキストに基づく研究成果のこれまでとこれから』シンポジウムが、北里大学薬学部附属東洋医学総合研究所、北里大学研究所病院漢方鍼灸治療センター、日本内経医学会、日本伝統医学総合研究所の共催にて開催された。対面とオンラインを合わせて約150名が参加した。
海原亮氏(住友史料館副館長)は、『地方藩医の蔵書と学問―江戸時代の医師は医学古典をどのように学んだか』をテーマに講演を行った。江戸時代は、病気の際に医師の診療を受けることが徐々に浸透していたが、国家レベルの免許制度や医療体制は未整備であった。身分制度のもと、多様な階層の人々が自ら学び、医師として活動し、また疫病などの大規模災害時には、各藩や地域共同体が主体となって対応していたと海原氏は説明した。そして、正式な免許制度が確立していない中で民衆を診ていた藩医のなかには、より高度な医学知識を求めて学び続けた志の高い人々がいたと伝えた。
幕末期の彦根藩医・河村純碩とその子・純達の親子に関する資料(滋賀医科大学図書館・河村文庫所蔵)からは、藩校の「医学寮」において月6回、医書の素読・会読が行われていたことが分かるという。医学寮は、武道を教育する藩施設の一室に設けられたもので、藩医のほか「三十五才以下十五才以上之者」に参加が許されていた。ただし臨床のための空間としては狭く、実際の技術習得は各自が師に就いて学ぶ形が基本であったと説明する。素読に用いられていた医書は150点に及び、現在、河村文庫としてデータベース化され公開されている(https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/index.html)。所蔵医書のなかでも特に多いのは、診察時に傍らに置いて参照する実践的内容をもつ「方集」であり、44点が確認されているという。鍼灸分野については、河村親子が専門としていなかったためか、比較的初学者向けの書物が多く含まれていると解説し、「臨床経験の不足を書物によって補い、技術向上を図ろうとする意欲的な藩医の存在は、後の明治期における医制の整備にも一定の基盤を与えたのではないか」と海原氏は述べた。

海原亮氏
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