連載『不妊鍼灸は一日にして成らず』4 おしっこ大王
2018.07.10
前回、受精後の卵割の進捗や着床を解明するのに、大変な実験が行われたことを書きました。今回も、私が「スゴイ!」と思った実験についてお話しましょう。
排卵、性交渉のタイミング、妊娠率を経時的に関連付けたウィルコックスという研究者がいます。性交渉のタイミングと妊娠率を示したグラフに「Wilcox et.al.」と書かれたものを目にされたことがあるかもしれませんね。彼が示した中で何と言っても重要なのは、当時考えられていた流産率が事実とは大きく違っていたのを証明したことです。彼は女性たちに、「6カ月を限度として、毎日の尿を提供してくれるよう」地方紙の広告で呼びかけました。そして、応募のあった不妊傾向の無い221人の女性から集められた計29,000の尿検体を分析したのです。
尿の提供には「避妊しない性交、妊娠の兆候や膣からの出血の記録」が条件付けられていました。この実験の目的は、自己申告に基づく流産の曖昧性を排除することだったのです。当時はhCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)検査が可能になり、妊娠を化学的に判定できるようになった頃でした。hCGとは胎盤の一部から分泌されるホルモンで、妊娠判定の多くはこのホルモンの尿中の検出で決定します。前述の尿をhCG検査で調べたところ、198例の妊娠があり、うち31%が流産で、自覚された流産は9%。つまり、流産のほとんどが自覚されていなかったのです。前回解説した、「一つの時系列の中に月経・妊娠・流産があり、それらは連続している」ことが理解できますね。受精卵の子宮内膜への接触から胎嚢形成に至る経過で、どこを妊娠の成立とするのか。hCGの検出があっても胎嚢を確認できなかった場合を「化学流産」、胎嚢を確認できた場合を「臨床的妊娠」と呼ぶことになりました。
現在では流産の多くは理由があって起こる正常な現象と解釈され、さらにその大半は次の妊娠やその維持に関与しないことも周知されています。1988年に発表されたこの実験により、ウィルコックスは「おしっこ大王」と称されました。そしてこの頃には超音波診断装置の臨床応用が進み、非侵襲な画像診断がルーチンな検査となっていました。
ここで、「三陰交にまつわる誤謬」を思い出していただきたいのです。妊娠時期も流産も、数十年前まで確定は困難だったのですから、妊娠中の禁忌穴に信憑性が無いことは分かるでしょう。ましてその経穴への刺激が流産を引き起こしたのかどうか、誰も知り得ないことです。それを物語る1人の症例をご紹介します。
平成18年、私が産婦人科で鍼灸をしていた頃に、7年以上に及ぶ無月経の患者さんが来院されました。その後、血小板減少性紫斑病も判明し、月経が来ると出血が止まらなくなる可能性があるので、大病院から近医まで数カ所で治療を拒否されたとのこと。血小板数の回復を見ながらの鍼灸治療となりました。この人の高温期は特異でした。月経が回復し始めた頃、基礎体温が不規則に変動するのですが、高温期が2週間以上続くことがあるのです。「妊娠してない?」「彼氏もいないのに妊娠するわけがない」といった問答が二度三度と繰り返されたことを思い出します。これがもし、既婚者だったらどうでしょう。判定試薬も無い昔なら妊娠と勘違いされるかもしれません。このように妊娠とは、外からは全く計り知れないものなのです。ちなみにこの方は完治され、その後、医療の手を借りずに2人のお子さんを自然妊娠で授かりました。
ほんの30年ほど前まで超音波診断装置は経腹プローブだけでした。以前、北海道鍼灸師会に招かれて講演した際に、私の前に登壇されたベテラン産婦人科医は「以前は経腹エコーで全て観察していたが、本当に難しかった」と述懐しておられました。観察の進歩は、事実を明確にします。それに伴い、新たな知見を得ることは大切です。
先日、第37回日本アンドロロジー学会で伊佐治景悠先生が、男性不妊に対する鍼灸治療の有効性を発表され、メディアなどから注目されています。近々本紙にも、伊佐治先生が登場するでしょう。ご期待下さい! また、『医道の日本 7月号』の「不妊鍼灸特集」に私が登場しますので、よろしければお目通し下さいませ。
【連載執筆者】
中村一徳(なかむら・かずのり)
京都なかむら第二針療所、滋賀栗東鍼灸整骨院・鍼灸部門総院長
一般社団法人JISRAM(日本生殖鍼灸標準化機関)代表理事
鍼灸師
法学部と鍼灸科の同時在籍で鍼灸師に。生殖鍼灸の臨床研究で有意差を証明。香川厚仁病院生殖医療部門鍼灸ルーム長。鍼灸SL研究会所属。