連載『先人に学ぶ柔道整復』十九 アンブロアズ・パレ(後編)
2020.01.24
―日本で浸透した「肩関節脱臼の整復法」―
パレが生涯書きためた論文を「パレ全集」として出版したのは、晩年の1575年でした。これが伝わった当時の日本はキリシタン禁制が敷かれていて、スペインやポルトガルは追放され、キリスト教布教を目的としないオランダのみが長崎への出入りを許されていました。オランダ語に翻訳された全集を、まず日本の通詞(通訳)たちが、同書に関するオランダ人外科医の解説を聞き、外科絵図を見つつ抄訳。これが日本で最初の西洋臨床医学書となっていきました。
パレの日本での影響を示す上で注目したいのが、全集の挿図として描かれていた「肩関節脱臼整復で使用されている棒」(図1)です。立った患者の脇に差し入れた「曲がった形の棒」。当時西洋で使われていた天秤棒で、特別な医療器具ではありませんが、整復時には棒を上下逆さに使用していました。腋窩に触れる部分に丸い球を付けたのはパレ独自の工夫ですが、実は図1の下部にある棒の詳細な形状を示すスケッチは、日本に渡ってきた当時の全集には見られませんでした。
さて、1735年に全集を翻訳した西玄哲による『金瘡跌撲療治之書』では、この「曲がった棒」を用いた整復法が描かれています。パレの挿図と比較すると簡略化されていますが、人物の配置からパレ由来であると分かります。次に、1767年に刊行された『外科訓蒙図彙』(伊良子光顕)では、人物の頭髪は西洋風なのに、服装が中国風。ただ、この挿図でも「曲がった棒」が使用されています。
少し時代を下って、日本を代表する外科医の一人、吉雄耕牛の場合です。耕牛が弟子に与えた免許皆伝書(1790年)の中に、パレの脱臼整復法が載っています。西洋風の人物たちが「曲がった棒」を使い、治療する類似の絵が描かれています。
華岡青洲にも、弟子らの筆記した華岡流整骨術の絵図の中に、脱臼整復法を伝えるものが残っています。二人の助手が患者の腋窩に棒を入れ、担ぎ上げ、術者が腕を引っ張りながら整復しています。青洲の使用した棒は「まっすぐ」ですが、患者の膝を曲げ、これを縛れば、背の低い助手でも患者を吊り上げられます。これは青洲の工夫です。ここまで肩関節脱臼の整復図にスポットを当てて見てきましたが、パレの挿図が少しずつ変形していたのが分かります。
その後、耕牛の弟子である二宮彦可が『正骨範』を著するなど、日本独自の整骨術が花開きますが、江戸期に日本文化に同化していったパレの整復法が、起点になっていたのは言うまでもありません。
【連載執筆者】
湯浅有希子(ゆあさ・ゆきこ)
帝京平成大学ヒューマンケア学部柔道整復学科助教
柔整師
帝京医学技術専門学校(現帝京短期大学)を卒業し、大同病院で勤務。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程を修了(博士、スポーツ科学)。柔道整復史や武道論などを研究対象としている。



