連載『先人に学ぶ柔道整復』二十八 星野良悦(後編)

  • TOP
  • 連載『先人に学ぶ柔道整復』二十八 星野良悦(後編)

投稿日:2021.09.24

連載

/後)

良悦没後の「身幹儀」

 今回は、良悦が亡くなった後の「身幹儀」を追ってみたいと思います。

 没後3カ月の1802(享和2)年6月、かねて医学館に献納した「身幹儀」の手当てとして幕府から30両が与えられました。これを拝領した良悦の養子・星野柔克(旧姓は土岐柔克)は広島藩の侍医にとなり、藩侯からも厚い信任を得ました。一方、「幕府医学館に兼備された身幹儀は」というと、1806(文化3)年3月の大火災、いわゆる「文化の大火」により焼失してしまいます。その後、身幹儀を模した木骨がいくつか作られます。漢蘭の医家たちの間で研究などのために数基作製され、また良悦の弟子・中井亀輔(後に大槻玄沢の門下生)と深い親交のあった蘭方医・新宮涼庭(長崎商館医)も広島の指物師に「身幹儀」を模造させたと伝えられています。

こちらは有料記事です。デジタル版に登録すると続きをお読みいただけます。

連載

この記事をシェアする

広告 ×

開業したいけど何から始めればいいかわからない…。全国4,000名の柔道整復師に選ばれる全国柔整鍼灸協同組合がそんなお悩みを解決!さらに、融資のプロ、日本政策金融公庫の担当者が融資を徹底解説!

【全柔協】秋の開業セミナーOPEN