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あはき

日本医史学会 島根オンライン大会 吉田流の源流・啄周の実態

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配信は特設サイトで行われた。画像は大会顧問の田中則雄氏

長野仁教授「流派は経営、嘘をつく」

 日本医史学会の第122回大会が9月18日、19日、オンラインで開催された。島根大学との共催。

 長野仁氏(森ノ宮医療大学大学院教授)は吉田流の源流とされる啄周について講演した。富士川游『日本醫學史』などに基づく従来の定説では、吉田流の興りは開祖の意休が永禄元(1558)年に渡明、「杏琢周」に師事し7年学んだ鍼術を基に、子・喜安と孫・一貞が『刺鍼家鑑集』にまとめたものとされる。遡れば浅田宗伯『皇国名医伝』などに基づく記述だが、琢周の姓が杏とは考えにくいことやその年代、喜安と意安法印(吉田宗恂、安土桃山時代の医者)との混同など、不自然な点や後の誤解を多く含むと指摘。実際の琢周は中国では山人、すなわち明末に横行した世間に鼻つまみ者扱いされる類の文化人で、後に日本に流れ着いて明人というだけでもてはやされたと考えるのが自然だとした。長野氏は誤解の原因を説明する上で、

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