ログイン・検索

Generic selectors
Exact matches only
Search in title
Search in content
Post Type Selectors

連載

連載『先人に学ぶ柔道整復』二十八 星野良悦(後編)

投稿日:

/後)

良悦没後の「身幹儀」

 今回は、良悦が亡くなった後の「身幹儀」を追ってみたいと思います。

 没後3カ月の1802(享和2)年6月、かねて医学館に献納した「身幹儀」の手当てとして幕府から30両が与えられました。これを拝領した良悦の養子・星野柔克(旧姓は土岐柔克)は広島藩の侍医にとなり、藩侯からも厚い信任を得ました。一方、「幕府医学館に兼備された身幹儀は」というと、1806(文化3)年3月の大火災、いわゆる「文化の大火」により焼失してしまいます。その後、身幹儀を模した木骨がいくつか作られます。漢蘭の医家たちの間で研究などのために数基作製され、また良悦の弟子・中井亀輔(後に大槻玄沢の門下生)と深い親交のあった蘭方医・新宮涼庭(長崎商館医)も広島の指物師に「身幹儀」を模造させたと伝えられています。

こちらは有料記事です。デジタル版に登録すると続きをお読みいただけます。

-連載
-, ,

バナーエリア

Copyright© 鍼灸柔整新聞 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.